潤一郎訳 源氏物語〈巻5〉 (中公文庫)ダウンロード
潤一郎訳 源氏物語〈巻5〉 (中公文庫)
本, 紫式部
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潤一郎訳 源氏物語〈巻5〉 (中公文庫)ダウンロード - 内容(「BOOK」データベースより) 本書は、「桐壼」から「夢浮橋」まで、各葉いずれも典雅な平安朝の気分を現代にただよわして、流麗な「谷崎源氏」をいっそう私どもに親しみやすい美しいものにしてくれている。
潤一郎訳 源氏物語〈巻5〉 (中公文庫)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
早蕨から夢の浮橋へ源氏物語の大詰めが近づくにつれて、私の中に源氏の死後からわだかまっているある問題が次第に回答を得る方向に向かっているのを感じる。源氏の死、これによってこの長大な絵巻物は静かに幕を閉じる、それでいいのではないか?しかしアンコールの拍手が鳴りやまないで、紫式部は宇治十帖という独立した物語を書いたのか?あるいは紫式部の構想は元から源氏の死を越えた更に壮大なものだったのか?私は源氏の生涯を読み終えるあたりで、この物語の中にある奇妙な現象があることに気が付いた。それは悪が存在しないことである。主人公源氏を脅かす悪はその影も見せず、彼は静かに生涯を終えることが出来た。それでいいのか?これでは物語に深みを増す陰影に欠けることは否めない。小説家として奇跡の天才と言われる紫式部がそれに気づかないわけがない。私は宇治十帖が当初から紫式部の構想に入っていて、ある意味で死後の源氏を脅かす悪がその中に登場するのではないかと思い始めていたが、それは意外な人物の姿を借りて現れ出たのだった。その悪とは源氏の血の中に存在し続け匂宮となって現世で性的犯罪を行うに至るという恐るべき物語の展開を「東屋」の中に私は見た。「家政婦は見た」というのではない。平安時代と現代とでは男女の交わりに関する倫理観にかなりの落差がある。平安時代、貴族は貴族社会の中にだけ男女交際の相手を探した。現代に比べて非常に限定的な社会であった。そのことは血縁関係の近い異性との男女関係も現在の様には排除されなかった。柏木が当初玉鬘に強く惹かれながら兄妹の関係であると知るや、実にあっさりと玉鬘争奪戦から手を引いたことでもわかるように、さすがに兄妹の関係は当時でも禁じ手であったが、それ以外ならすべてOK、血縁の近い者同士の夫婦はざらであったに違いない。自らの出生の秘密を知らなかった薫が結ばれてはならない女性と結ばれてしまった後で出生の秘密を知るというのが、私が予想した悲劇の構図であった。しかし現在よりも濃い血縁関係が平安時代はより自由に結ばれていたという時代の風潮を読み誤っていたこともあって、またしても私の予想は外れた。薫と匂宮は年齢が近いことがあって少年時代から親しい友人であった。それは若い頃からライヴァルであるとともに悪友として付き合い続けたかつての源氏と頭中将の姿を彷彿とさせる。ただこの新世代の二人は貴公子らしい見栄えの良さはあるものの、「眩いほどの美しさとは申しかねるのでございます」と紫式部はかつて断じていた。新世代の二人の貴公子に対する紫式部の評価が「東屋」の中で再び表明される。匂宮は春宮の最有力候補になっている。薫は左大将であり大臣の座も近い。この二人は「お並びになっていらっしゃると宮(匂宮)が口惜しく負けてお見えになる」のだが「大将殿(薫)が歩み入り給うのを見ると、いかさま、ああお立派な、お綺麗なともお見えにならないながら、優雅でお上品で清らかで」と記されている。紫式部の美的評価をまとめると「薫は貴族らしい上品さを備えてはいるが特に綺麗だというわけではない。匂宮はその薫と並ぶと見劣りする」ということになる。光源氏の孫だが匂宮の容貌は美しくはないのである。紫式部の中に美と善が一致するという意識があったとすれば、容貌に関する彼女の執拗なまでの記述は性犯罪者匂宮の登場を準備していたのだとも考えられる。光源氏はかつて女三宮の褥の下からちらりと見えた手紙を何気なく手に取った。それは柏木が女三宮に宛てた恋文だった。彼は心ならずも自らの手で柏木の密通を暴くことになった。ところが匂宮は自分自身に邪悪な心があるので他人を疑う気持ちが強く二条に囲っている八宮の中姫の手紙類を源氏とは違って疑い深く頻繁に点検している。すれ違う馬車が派手であれば、また浮気な男が乗っているのではないかと疑う。新しい使用人の中に少し容貌で目を引く女性でもいればたちまち肉体関係を持ってしまう。それが春宮の地位を目前にした時の匂宮のあきれた実態であった。悲劇を引き起こす悪は強大でなければならない。デビュー当時はおっとりして不器用な印象すらあった匂宮は私の気が付かないうちに強大な悪に変貌していた。悲劇の犠牲者は美しくなければならない。私は浮舟ほど素朴ではにかみやで純な心を持った女性を知らない。しかしその純朴な内面に似ず彼女の容態、姿格好は異様なまでに妖艶なのだ。そのアンバランスがまた欲望を抑制できない匂宮を暴走させた。浮舟は後から近づいてくる男が放つ芳香に気づき「私のことを好きだと言ってくれている薫さんのようだわ」と一瞬嬉しい気持ちを抱いた。哀れにも彼女の嬉しい気持ちは次の瞬間粉々に砕かれてしまった。事件の後、三条の東屋に避難した浮舟のもとをようやく薫が訪れる。薫は事件の詳細を知らない。浮舟は薫と会うことで事件から受けた衝撃から立ち直り始める。ところが薫は何げなく誦じた漢詩「楚王台上夜琴声(そのおうのだいのうえよるのきんのこえ)」が不吉な予言となっていることに気づき途中で口を閉ざしてしまう。止めようもない大きな力に流されようとする浮舟、しかし薫以外の者は漢詩の持つ不吉な意味に気づかない。ああ薫よ!貴方はそこで予感の根源をもっと探るべきだった、貴方はのんびりし過ぎるんだよ、やっぱりあんたはさっさと出家して六宮のように経文でも勉強するっきゃないだろね。一方、自分の屋敷内に逗留していた浮舟の姿をちらっと見ただけでムラムラっとなって強姦してしまった匂宮は浮舟のことが忘れられなくなった。これ?純情な情熱と言えるのだろうか?自分の欲望のままに動いても罪に問われないほど強い立場にいる男の自分勝手な思いというべきだろう。匂宮と薫、光源氏が亡くなった直後からこの二人の若者は並び称されてきた。源氏の孫匂宮と表向きは晩年の源氏の子とされる薫、しかし今上帝と明石中宮の間に生まれた匂宮は次期春宮の第一候補とあって、浮舟をめぐる事件があった頃、二人の地位はかなり大きく隔たっていた。物語を面白くするに十分なほど悪は巨大となっていた。ところでこの匂宮は現代の犯罪者に見られる要素をまだ他にも持っていたのだ。それは天才的ストーカーという側面である。ある日、匂宮は自邸の庭先で中の姫と立ち話をしていた。そこへ女童(めのわらわ)が封書を持ってきて中の姫に手渡そうとした。中の姫は「それは侍女の〇〇に直接渡しなさい」と言ったのだが、匂宮は中の姫の顔にぽっと赤みがさすのを見逃さなかった。更に封書に目をやると2通のうちの1通は艶な風情のある包文(つつみぶみ)なのである。宮は行方をくらませている浮舟の手紙であることを直感し、その封書を取り上げる。「さあ何が書いてあるのかな、私も読ませてもらいますよ、いいですね!」彼は深いたくらみのない風を装いながら遂に浮舟の居場所を突き止めたのだった。彼は浮舟の隠れ家周辺に土地勘のある配下の者を放ち、浮舟の隠れ家へ侵入する策を練ったうえである晩、庭先から建物に近づき、薫の声音を真似ながら戸を開けてくれと呼びかける。侍女の右近も薫の声音に騙されて匂宮を家屋内に入れてしまう。入ってきた男を見て右近は薫でないことに気付くが時すでに遅しで匂宮は構わず奥に入ってゆき遂に浮舟と再会する。再会するという言葉をこのストーカーに使うのは相応しくないと私は思う。ところが意外なことに浮舟の心はこの時以来揺らいで、むしろ匂宮の方に傾いてしまうのだ。匂宮は女性に対してマメで場を楽しくすることにもたけている。このあたり現代のモテ男達に通ずるものを彼は持っていたのだろう。むろん私はこんなものは美点でも何でもない、そこいらのハキダメに捨てて唾をひっかけとけばいいと思っているのだが……肝心の紫式部先生の匂宮に対する舌鋒が和らいでしまったような印象があるのは残念なことだ。無論、時代の差があって、現代なら逮捕、起訴となるべきこの匂宮という男も平安時代には好色な宮様と陰口をたたかれるくらいで済んでしまうことは理解しなければならないであろう。ただここで私は我が子匂宮を評して明石中宮が漏らした言葉を書き記しておきたい。「あの宮は何とも申しようのない御本性ときいております」匂宮を追求する名検事として、私は中宮の言葉を重く受け止めている。身投げをしたが死にきれず生き延びた浮舟はもはや恥をさらして生きている自分を誰にも見られたくないと思い、ひたすらその存在を隠しつつ尼寺に潜み続ける。一時でも匂宮に傾いた自分を悔い、薫にもう一度会いたいなどとも時に思う。おー、紫先生はやはり匂宮を否定してくれた、ありがと!しかし、ようやく浮舟が生きているという情報をつかんだ薫は常陸守の童の一人を使者として浮舟のもとに遣わしてみた。なんだよ薫君、君のそのまだるっくるしさがダメなんだよ!しかし既に尼になっていた浮舟の心に訴えることが出来ず、浮舟は寺の奥へと去っていった。この大長編にしてこの最後の場面のあっけなさ、この最後のあっけない場面を書きたくて、紫式部は桐壺の章から書き起こしたのだろうか?それは実に驚異的な発想と言わなければならない。私はここで得意の比較文学をしてみたいと思う。プルーストの「失われた時を求めて」は「源氏」に匹敵する大長編だが、その中の「囚われの女」の章の最終場面を記憶をたどりつつ少し書いてみたい。私はある朝目覚めて階下へ降りて行った。フランソワーズが朝食の準備をしていた。「アルベルチーヌは?」と私は尋ねた。「アルベルチーヌ様は出てゆかれました」とフランソワーズがこたえた。これ以後アルベルチーヌをは2度と家に帰って来ず、「私」は2度とアルベルチーヌに会うこともなかったのであるが、非常に日常的シーンの中に潜む危機をこれほどさりげなく描いた作品は少ないと私は思う。浮舟が薫に対する言葉の一つも発することなく寺の奥へ消えていったこの静寂な場面もまたすごいと私は思う。源氏物語の特殊な構成についてまず光源氏を中心としたかなり壮大な王朝絵巻が展開され、当時の貴族社会を網羅する形で多彩な恋愛模様が描かれてゆく。男性側の主役は源氏がつとめ男性の恋愛心理はそれほど突っ込んだ心理描写は見られないものの、もっぱら光源氏の心理描写が続く。一方女性の方は章が替わるたびに主役女性が替わるので、様々な女性が違った個性を持って登場し心理描写にも多様性が出てきて面白い。源氏の晩年になると男性側にも夕霧、柏木などが台頭し世代交代の波が押し寄せる。源氏の死後、何か世の中が混とんとしたかのように思い切って多くの人間や家族を雑然と描いているような章段が2章ほど続き読者はうんざりさせられるのだが、次のような書き出しで始まる「橋姫」によって我々は急に宇治の静けさの中にいる自分を発見する。その頃、お年を召した親王(みこ)で世間から忘れられていらっしゃるお方がありました。宇治十帖の始まりである。舞台は宇治に絞られ、主だった登場人物も宇治の八宮の父と娘姉妹、京では薫と匂宮の二人だけである。私は宇治十帖は広大な源氏物語の中で入れ子構造を形成しているとみている。宇治十帖の中ではまず八宮が亡くなり次いで大姫も短い生涯を閉じる。一人残された中の姫は匂宮のもとに身を寄せた。しかしどっこい、紫式部はここで切り札ともいうべき浮舟を投入、宇治十帖は「東屋」において最高の盛り上がりを見せる。次の「浮舟」では悪役匂宮が再び浮舟を襲い、浮舟は悲嘆に沈んで自殺を考えるようになる・・・・と、ここまではごく普通に物語は続くのだが、次の「蜻蛉」の章になると、浮舟はすでにその姿を消していて、周囲の人々があれこれと騒ぐ雑然とした光景が現れる。どこを探しても浮舟が見つからないので、誰もが浮舟の自害を確信してしまうのである。この章を読んでいると、源氏死後のあの雑然とした京の描写を思い出したものだが、それ以上に身分の低い人間たちの騒ぎを漫然と描く意味を見出せず、私は前章の「浮舟」を書き上げた時点で紫式部は亡くなったのではないかとさえ思った。ところが違った。次の「手習」の章は次のような書き出しで始まる。その頃、横川に某(なにがし)の僧都とか言って、たいそう徳の高い人が住んでいた。そう、宇治十帖の始まりを告げる「橋姫」の書き出しを連想させて始まるこの章は源氏物語の中の入れ子である宇治十帖の中に更に仕掛けられた入れ子である。源氏物語は三重の入れ子構造になっている。入れ子の入り口付近はやたらに騒がしくしているので、入れ子の中に入るとその静寂さに読者は皆驚くのではないだろうか。三重構造の入れ子の奥にいるのは浮舟ただ一人である。この中で一人の女性の心理の揺れ動くさまが余すところなく描かれている。もう薫も匂宮も入ってこられない。光源氏、頭中将、夕霧、柏木・・・華やかな恋愛劇を繰り広げた男達の姿はもう遠い思い出の中に霞んでゆくばかりだ。
de 紫式部
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